溝入敬三コントラバス劇場

カテゴリ:旅( 1 )

福山城

 今月の20日頃、久し振りの雪に覆われた福山に居ました。僕は、このあたりで生まれ、高校までここに住んでいたのですけど。
 福山といっても知らない人は多いはず。それ富山県、福島県?などと言われるのは珍しくもない。西隣の尾道、東方面の倉敷に挟まれていても知名度では、かなり劣る。「鞆の浦」(瀬戸内海国立公園)があるというのに。平安時代から栄えていた万葉集に詠われた古い港町、鞆です。現在は、遺跡や古い寺の残るひなびた漁師町ですが、僕は、大好きですね。今回は行くことができなかったのですが、実家から車で15分なのに、あそこに付いては、またそのうちに書きましょう。そうそう、あの宮崎駿さんが気に入って二ヶ月間も自炊しながら滞在し、きっと道端に店を出している、あのおばちゃんから取れ立ての魚を買って食べていたのでしょう、ぐるぐるお腹が鳴りますが、そうして今夏公開される「崖の上のポニョ」の構想を練ったそうですぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鞆の浦

 さて福山、山陽本線で旅したことの有る人、特に新幹線なら高架線路を使っているから一目瞭然、駅の目の前の大きな福山城で印象に残っているに違いありません。
 ちょっと調べてみました。水野勝成によって1619年(元和5年)築城。明治になってから廃城を申し付けられ、多くの建物を壊したそうです。そうして昭和20年8月福山大空襲で天守閣等を焼かれてしまいます。現在の天守閣は、1966年の復刻で、中は博物館になっています。天守まで登ることができ、福山の街を見渡すことができます。
 えーとまあ空襲は、しようがないにしても、廃城というのは、現在からは想像しにくい。友人の中国人作曲家が「中国では、政権が変わるとたびに、街を破壊するけれど、まあそれは日本でも同じだと思うけれど・・・」と話しだしたことがあって、「いや、日本は文化的遺産は大事にし、決して壊さない」などと主張したのですが、まいったなあ。無血革命と言われる明治維新も、むちゃしていたんですね。そして、大正、昭和の初め頃までに、お堀を全て埋めてしまったようです。
 なんでこんなことをだらだら書いているかというと、駅を降りたとたん正面の駅前広場やロータリーが大工事中だったからなのです。地下に送迎用広場を作ろうと掘り返したら、お堀の石垣やらが出て来て、大騒ぎ、市によると黒船以来の大事だそうで、これを復刻して、格調高い駅前広場を作るのだそうです。
 しかし、たかだか大正時代から昭和初期のことみたいですよ。外堀を埋めたのは。発掘された陶器、なんて写真は、どこでも売っている安物の古道具に見えます。百年もたっていないんだから。そんなことも調べないで、掘り返したの?っていうか政治やっているのかね。じいちゃんにでも聞けば教えてくれたろうに。掘れば、あるに決まってるじゃないの。こないだ埋めたんだから。
 僕が、子供の頃の駅前は、噴水がある小さな公園と、バス停でしたが、それからだって行き当たりでどれだけ掘ったり、埋めたりしていることか、やれやれ。
 1891年(明治24年)に福山駅営業開始だそうですので、その頃にすでに線路や駅の下のお堀は埋められていたのでしょうね。(今回の発掘は、もっと新しい外堀です)文化遺産だとも思わずに。しかし、完成予想図や、お城の地図を見ると分かりますが、国鉄線路(現JR)がどっかーんと城内を横切っております。明治時代、いくらでも土地はあったろうに、おっそろしいことをやったものです。そしてその事実を強調するような、お堀復活です。

"OH,NO! UGLY!"
これを福山地方では「いなげな!」もっと汚いと「いびしい!」そして、みっともない「ふうが、わりー!」と言います。

 もともと知っていたから、調査して開発する、みたいな様子にも見えますが、僕が聞いた話では、そうではなかったようですぞ。でも、しようがないですよね。もう発掘しちゃったのだから、壊す訳にはいかず。線路も駅も、駅前商店街もとっぱらって、城下を復刻なんてできる訳も無く。少しでも、昔の面影でも復活させて、観光資源にでもしなくちゃ。でも、今や、文化の香りの薄い福山だからなあ。

 一応、下も覗いてみて下さい。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Momiji/9800/haku.htm
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by keizo-mizoiri | 2008-01-24 16:55 |



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