溝入敬三コントラバス劇場

カテゴリ:想い出( 6 )

もりのせいかつ【森の生活】

 カリフォルニアの本屋で、ソローの『森の生活』を探したが、見当たらない。ソロー、ヘンリー・ディヴィットはどこにあるかと店員に尋ねたが、彼はその名前さえも知らないと言う。日本人の作家? 中国人か? などとたわけたことをぬかす。アメリカ人は本なんか読まなくて、文化程度が低いから、自分の国のこんなに有名な古典作家も知らないのだ。その時は、どうしても原題が思い出せなかったのもあって、結局探せなかった。なんてバカヤローの国なんだと頭にきた。
 家に帰っていろいろ調べてみたら、ソローはThoreauでありまして、私は日本語表記から、勝手にSollowみたいな綴りを考えて、発音していたから通じなかったのでした。LもRも試しましたが、始まりがSでは絶対に分かって貰えない。ちなみに原題は、皆様ご存じのようにもちろん『ウォールデン Walden』でございますね。
 次の日、また本屋に行って、Tの棚を自分で探して、違う店員のキャッシャーでそっと買って帰りました。いやーアメリカって、アメリカ語って、本当に奥が深いですね。
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by Keizo-MIZOIRI | 2007-10-23 16:03 | 想い出

ミラノのたび【ミラノの旅】

 イタリアのペルージャという街に住む、現代音楽で大変著名なコントラバス奏者であらせられる大先生に会いに行ったことがある。しかしおかげで、無駄金と大量の時間を使わせられたあげく、散々な嫌がらせを受けて、やっとミラノに辿り着いたのは夜の8時頃だったろう。何としても宿を見付けねばならず、駅のインフォーメイション・センターに行って列に並んだ。しかし私の番になると、私の一人前で全てのホテルの部屋が満室になったと言う。この街の治安の悪さは心得ていたし、イタリアとはいえ、年の暮れではちょっと寒く、駅で眠るわけにもいかない。そんな私に係の人は、2食付き、しかも2皿のディッシュとドリンク付き、シャワー付きの特別の宿を紹介すると言ってくれた。それを断る理由はない。渡りに船と、教えられたとおりトラム(路面電車)に乗り、指定の停留所で降りて、そこで待っていた案内の男について行った。到着してみると宿の外見は普通のアパートのようだったが、入って行くと紛れもなく2LDKくらいのアパートの部屋だ。ダイニングルームには、すでに旅行者らしい若者が男4人、女3人くらいいた。
 その夕食は私が思い浮かべていたイメージとは違ったが、たしかに聞いていたとおり、パスタ(トマトソース)、焼いたチキンの2皿が並び、コーラの大きなペットボトルが出ていた。その料理は、停留所に迎えてくれた男が作ってくれた。まあイタリアであるから、それはそれで美味しかったが、皆で食事をしている最中に、あの駅の係員が仕事を終えて帰ってきた。そこは彼の部屋だったのである。
 宿泊代を彼に払うと、居る場所もなく、することもないので、寝室にぎっしり並べられたベッドでみんな寝た。トイレの水は流れなかった。シャワーはベランダの水道の蛇口に差してあるビニールホースのことだった。次の朝起きると、顔も洗わずに、一番の列車でミラノの街を離れた。私の初めてのミラノだった。
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by Keizo-MIZOIRI | 2007-10-17 18:23 | 想い出

あかせがわげんぺい【赤瀬川原平】

 尾辻克彦ともおっしゃる。今でこそ「老人力」「ライカ同盟」とか軽い文も書いていらっしゃるので、大衆作家かカメラ雑誌専門のライターに見えるが、実は芥川賞作家であられ、昔は前衛芸術バリバリで、恐い活動家のイメ−ジがございました。伝説のハイレッドセンタ−なんかで白衣を着ての路上ハプニング。とっても怪しげでした。或は千円札裁判。これは詩人の滝口修造さん達と連日シリアスなニュースに登場し、表現の自由とは、芸術とは、と大きな問題を世間に投げかけておりました。
 私は20数年前、東京都小平市の、古い米軍ハウスに住んでいたことがあります。20畳のダイニングキッチンと3ベッドルーム、六畳はあったろうバスルーム、天井も高い。実はボロボロの木造平屋でしたが。回りには、居心地の良い雑木林、(或る日突然伐採されて、どこにでもある公園になったが)、多摩川上水も流れ、よくひとりで散歩したものです。
 そして或る日、私は、近所の豆腐屋の店先で、なんと、豆腐を買う赤瀬川原平を目撃したのでした。自転車に乗っていらっしゃいました。
 ロ−トレアモンが「シュ−ルレアリズムとは、手術台の上でコウモリ傘とミシンが出会うことだ」と言ったのは有名であるが、私は「赤瀬川原平」「自転車」「豆腐」の遭遇に、これこそシュ−ルレアリズムだと思ったのでした。
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by Keizo-MIZOIRI | 2007-10-15 11:36 | 想い出

すきやき【すき焼き】

 ウインドウをフルにオープンして、カリフォルニア・ルート52を60マイルでドライヴしていた。ポイントロマ岬に着く頃、ビューティフルなサンセットを見ることができるだろう。ダッシュボードの上には、フルーツショップで買ったばかりのオレンジ、助手席にはジェーンが入れてくれたコーヒーの入ったポット。ラジオはお気に入りの「グッデイズ・オールデイズ」の番組で、ナットキング・コールが流れている。モナリザが終わって、DJが軽快に次の曲を紹介する。・・・えっ、何をホワット彼はトーキンバウト言ってるの? キュー・サカモツ、ツキヤクソング? スキヤキソング? ♪うーふえぇおほむぅふーいひてへ、あーはあるふこほおほ・・・ なぜかジャパニーズ、おいら夕日に向かって泣いたのさ。
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by Keizo-MIZOIRI | 2007-10-12 11:24 | 想い出

すいぎゅう【水牛】 

沖縄の若いコントラバスの子たちとドライブしていた。那覇のメインストリート、国際通りのホテルまで迎えに来てもらい、そこから沖縄市を越え、具志川市(現在は、うるま市)を越え、はるばる、金武(きん)に向かう途中。もうこのあたりは「ヤンバル」に分類されるから、沖縄の前人未踏のチベットと言ってよい。文明から隔絶されたこのあたりでは、飼い猫はイリオモテヤマネコだし、ヤンバルクイナのフライドチキンがご馳走だ。そんなことはないが、那覇の都会からは想像できないほど、のどかな景色である。
 海を見下ろしながら、ゆるやかな山路を下っていたら、向こうから三日月型の角をした水牛が牛車を引いて登ってきた。牛車には、芭蕉で編んだ簔傘を被ったオジイとオバアがニコニコ笑いながら乗っている。私のみならずウチナンチューの学生も、嘘でしょうと、目が点になった。ここはどこの国やら、いつの時代やら。カメラを持って行かなかったことをかなり悔やんだ。そしてそれから30分程走ったら、やっと、基地のフェンスが幅をきかし、米軍放出品の店が並び、タコライス屋もある、そりゃあそうさタコライス発祥の地、金武に到着したのだった。
 後日、那覇でタクシーの運転手に、沖縄の水牛はたくましいですね?と話しかけたら、「あれは八重山ね、本島にはいないさー」という返事だったので、あえて反論しなかったけど、沖縄は、どこでも同じ時間が流れているわけではないらしい。
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by Keizo-MIZOIRI | 2007-10-06 16:38 | 想い出

せいが【青蛾】 

新宿東口にあった古い土蔵作りの喫茶店。夏は、クーラーはなくても、打水がされ、水盤に水が張られていて涼しかった。冬は、コートは脱げなかったが、火鉢に熾った炭の香りが暖かかった。いかにも頑固そうな店主は、おそらく美術系出身で、50代か60代。我々汚い格好をした若造が入って行くと、「ちぇっ今日は駄目だね」と、年配の客に囁くのだった。ある日一人で店に入ってくつろいでいると、彼はいつものように無口だったが、知り合いの客に向かって「ボワイエが死んだね」と言った。「ああいう人はいないね。」「もういないね。」今までただの頑固じじいだと思っていたが、一瞬白黒の画面にフォーカスで、じじいが浮かび上がった。ほどなくして、あるいは2、3年後だったか、閉店した。あの店がなくなってから、あの裏通りには行ったことがない。もう新宿という町には、裏通りなどなくなってしまっているかも知れない。
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by Keizo-Mizoiri | 2007-10-02 16:15 | 想い出



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